石黒浩氏は、大阪大学大学院基礎工学研究科の教授であり、20年以上に渡って人と関わるロボットやアバターの研究開発に携わっています。
ロボスタでも人間そっくりな「ジェミノイド」や、性別や年齢を感じさせない「テレノイド」、理想の美人顔を追求した「ERICA」、車輪で移動する子どもアンドロイド「ibuki」、アンドロイドオペラ「オルタ3」など、数々のロボット作品に携わってきました。
石黒:
人間にとって、生きることはすごく難しいことです。
人間は歴史的に見ると、生命に関して定義を拡げてきました。
今後、科学技術でその定義を今よりもっと拡げて変容していく可能性がまだまだあります。だから、生きているということをしっかりと知ろうとすると永遠に答えは出ないかもしれない。
けれども、どんな状況になっても生きているということが、人と人、人とロボット、それから人と環境、そういったものの関係性の上にあるというのは間違いないと思っています。
お互いに生きていると感じあいながら、自分が相手に対して振る舞っていく。
所作も同じなんじゃないかなと思います。適切な所作を振るまえるということが生きているっていうことなんじゃないかと想像しています。
ロボットも本当に生きていると言えるかは分かりませんが、人間とロボットの間で相手が生きていると思ってもらえるような所作とか動作を作り、保てることが、生きているということになると思っています。
菊地:
私が主宰するKiQは「Unspoken Experiences」のように「暗黙知の体験」を文化的なデザインや日本らしさとともに伝えているデザインスタジオなんです。私たちはそれを、カルチュラルデザインであると考えています。
今回の対談テーマでもある「所作のデザイン」を始めたきっかけは、日本の伝統、アニミズム、情緒的な世界観のような非言語のデザインを日々扱っているのが私たち。その流れで、所作という「言葉のないコミュニケーション」を日本のすべてにおける文化やヒューマニズムの共通点に感じたからなんです。私自身も上方舞や茶道、座敷の振る舞いにおいて修行を経験していますが、そのようなオーセンティックなものだけではなく、再定義が必要な時代かと思っています。所作は、現代でも様々なものに通じていると感じています。
私は表現する時にマルチディシピリナリーを意識した視点を置くことを大事にします。さまざまな役職、価値観、性別や人種も含めた多様性が融合する現場が価値を生むと信じて重きを置いているんです。流行りなどは関係なく、ぶれない強い軸があると思えるものや人を、常に探しています。
※マルチディシピリナリー:科学、芸術など、分野の枠組みを超えた次世代的視点
石黒先生とはその流れでご縁があって、私が伝えたい「所作」をテーマに実験的な作品を作り始めてながら共同研究をご一緒しています。
石黒先生が所属しているATRの研究所の皆さんは所作を「ムーブメント/ビヘイビア」という感覚、人間の振る舞いという言葉で定義されていると思います。
※ビヘイビア:行動、態度、振る舞い、挙動、行為、素行、動作、習性、行儀、品行、反応、作用、調子などの意味。
日本では「本当に思っていること」を言葉にしない情緒感が存在していて。舞踊のような芸術作品でも日常のコミュニケーションでも「所作」「振る舞い」に心をこめるということが多いと思います。
つまり、暗黙のコミュニケーションで形成されているからこそ世界的に面白く、珍しい感覚だと思っているんです。
それは日本のアンドロイドを研究する中で、先生としても意識されたことでしたか?
石黒:
そうですね。島国仮説という、独自の説を持っています。世界中を旅してみると日本の文化が非常に特殊だということに気が付きます。
なぜかというと、島国の中で似たような人たちが2,000年近くひとつの国を形作っているわけです。
そうすると、コミュニーケーションの方法がすごく濃くなるといいますか。言語以外で共有するものがすごく増えていきます。
例えば、日本語は主語にすぐに音がなくなって、省略されることが往々にしてある。主語を省略しても誰に対して何をしゃべっているかの誤解がないわけです。
その代わり、視線とかジェスチャーは欧米と比べると小さい。小さいながらもちゃんとした意味が込められていて、そういう非言語を含めた動作が所作ではないかと思っています。
所作に非常に多くの情報を込めていると、むしろ言葉より、そういう動作とか所作の方がたくさんの情報を伝えられる。
言葉は、いわばデジタルみたいなものでテキストの意味通りにしか伝わらない。もちろん感情を乗せることもできるのですが、最初から視線とかその身体の動きとかは人それぞれ多様な情報を載せている。世界的に見ても、非常に豊かなコミュニケーションができることこそ、日本の文化だと思っています。
アンドロイドを作る時も、僕らが意識しているのは視線の動きです。
手をちゃんと動かすアンドロイドを作るとすごくお金がかかるので、技術的に難しいところがまだあり、最近になってやっと手をスムーズに動かせるようになりました。
アンドロイドにも菊地さんのデザインしているような「所作」を取入れていますが、首の動かし方や視線の動かし方、そういったところは感情を伝える上で重要なので、注意を払って研究開発しています。
菊地:
これからのテクノロジー、そしてロボットは、人間ならではの感情と動きというのが結びついて豊かに表現されると思うんです。それらと関わる人々も「人間らしさは、こういうことなんだ」と段々と気づいていく。所作を取り入れられると、人間自身も豊かに進化することになりそうですよね。
所作って実は、「意識」のようなものと近くてまだまだ解明されていない。
そういったところで、原始的な価値観と技術が融合したクリエーションを行っていけたらと思っています。
石黒:
菊地さんの意見はすごく賛成というか、鋭いなと思いました。普通の人は気づかない「直感」に優れている。
僕らが目指しているアンドロイドは、平均的な人よりも、感情豊かに動作したり、表現力が高いアンドロイドです。
それを見た人間が、感情表現の方法を学んだり、感情表出だけでなく、モラル的でホスピタリティがある行動やモラルがある行動、人間のお手本になる。アンドロイドはそういう人間のお手本になる可能性があると思っています。
アンドロイドが、人間に何か教えちゃいけないというようなルールはないので、アンドロイドに人間らしさを教えられる。そういう未来が来たっておかしくはありません。
そのレベルのアンドロイドが作れるとアンドロイドを通して人を知るだけではなく人の大事な部分がアンドロイドと一緒に成長していく。そんな社会にこれからはなるんじゃないかと思っています。それが未来社会のような気がしています。
菊地:2050年の未来の社会では、人々がより人間にしかできないことに敏感になり、その価値も明確になっていく。私は、「所作」は人間ならではの「デザインランゲージ」だと捉えています。その新たなモダリティの中の「伝えること」の背景を解き明かしたい。
欧米では伝達という意味では、マイクロコミュニケーションとかボディランゲージの研究は進んでいるし、人間の在り方に対してはウェルネスや主観的ウェルビーイングの価値感が盛んですよね。けれども、本来の日本ならではの価値観は人間主義的だけではなく環境との調和、自然への尊敬が含まれていると思うんです。調和を探し続けることで、思いや言葉が「所作」というコミュニケーションに込められていく。そんな大切な日本の「伝え方」の根源に気づいたきっかけも、お伝えしたいと思います。
※02以降に続く
東京を拠点にするデザインスタジオKiQ(キク)のFounder & CEO、ディレクター。18歳で仙台から単身ニューヨークへの大学留学を経て、文化の奥深さを探究しに芸者修行。修行を通じて、和の振る舞いに感化される。デザインスタジオKiQでは、アート・文化・テクノロジーの調和をテーマに、これまでにないモノ・コトの再変換を行っており、マルチディシピリナリー(人種・世代を超えた多様な視点)な価値観をクリエイティブとともに提供している。所作コレオグラファーとしても活動し、人間やロボットなどの振る舞いを「所作」の概念でデザインする独自の専門家として国内外で活動。
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