菊地:
皆さん、こんにちは。菊地あかねです。
今日は、写真家の宮原夢画さんをお迎えしています。
まずは宮原さんに自己紹介していただきます。
宮原:
こんにちは。宮原夢画です。
私は写真家でもありつつ、ムービーカメラマンの仕事もしておりまして、雑誌、広告、テレビCM、ミュージックビデオの制作など幅広く活動をしております。
その他には、ちょっとしたアート活動もしておりまして、プライベートのライフワークで撮影したものの個展を国内外でおこなっております。
菊地:
ありがとうございます。実は私と宮原さんは、かれこれ付き合いが10年ぐらいになります。出会ったのは10年前で時間が経つのがすごく早いですね。
宮原:
そうですね。私が住んでいたところのお隣のマンションに菊地さんが住んでいたという偶然の出会いがありました。
菊地さんがお隣に住んでいたことは初めは知らなかったんですけど。
私がよく行ってた居酒屋で、飲みに行ってるときに菊地さんは1人で飲んでいました。
菊地さんが立ち上がってトイレに行こうと思った瞬間にターンってなって、フラフラしながらトイレから戻ってきて、結構やばい状況だったので、どこに住んでますかって聞いたのが最初の出会いです。
菊地さんが「近くなんです。」って言うので、私と友達の女の子、菊地さんの3人でちょっと歩いて帰りました。
正確に言うと、酔っていた菊地さんを担いでましたね。
ちょっと迷いながら帰ったら、なんと私の自宅の横に住んでいたという驚きで、それから仲良くなりました。
菊地:
驚きの出会いがあって、そこから宮原さんと仲良くなって、いろいろと話すようになりましたね。とても懐かしくて初々しく感じます。
その頃は20代前半で飲み方も知らずに(笑)
その居酒屋はすごく居心地がよくて、業界の方がたくさん集まっていました。
宮原:
名前を言ってしまったら、みんな知ってる人が多いと思うのであえて言わないですけど。
そこの居酒屋はクリエイターの方がたくさん集まるところでした。
菊地:
そうですね。宮原さんの事務所もその居酒屋の近くだったので、ご縁で何度か宮原さんの事務所にも遊びに行かせていただきました。
写真のことだったり自分が進みたい道の相談をさせていただいて、私にとってはすごく大きかったんです。
宮原:
はい。
菊地:
宮原さんの作風はその日本の美とか、海外を経験されたそのヨーロッパとかにはない「ものごとの捉え方」が作品に感じられて、そこにすごく共感することが多かったんです。
作品を見てすごいと思いましたし、個性として自分の絵を自分なりに作品に落とし込んでいて、宮原さんの様な表現者に自分もなりたいなって思ったきっかけです。
宮原:
菊地さんと話していくうちに、何かいろいろ共通項があるなと思ったのですが、菊地さんは芸者修行とかをされてたじゃないですか。
私は20代後半頃から日本の雑誌でファッションフォトグラファーとして仕事をやり始めて、日本でファッションやってると、欧米諸国のヴォーグやハーバーズ バザーなどそういう雑誌に憧れを抱いていました。
欧米諸国のファッションフォトグラファーたちが撮った写真のものまねみたいなのをしてるような感じ。それで私が30代になったときに限界を感じて真似をしていた彼らと同じようにはなれないなと思ったんです。
そのときに何が必要なのかなと考えたときに私は京都に行こうと思いました。
それで、月に1回は必ず京都に行っていろいろな寺社仏閣を回って建築を見たり禅寺の枯山水の庭を見たりと、寺の木の組み方とか建築様式、建物の光の取り込み方とか見て回りました。
先人の知恵というか、そういうのを学び取りたいと思って京都によく足を運んでたんです。いろいろなお寺を回るうちに、京都の「六角堂頂法寺」あそこはお花でいう池坊の家元なんですけれども、そういうところに出会ったり、あと、裏千家、お花の世界、お茶の世界。
先生について、両方とも7年間ぐらいは学んだんですけれども、今まで全く触れてこなかったその日本文化、日本人としてのアイデンティティみたいなものに触れました。
昔の人はそういうのが自然に、体に染みついてたと思うんですけど、今だとその能動的にならないと手に入らない。そういうものを積んでいって自分の今後の写真に活かしていきたいなと思いました。
それに取り組み始めたのが30代後半くらいまで。そういう取り組みをしていましたので、出会った頃に、菊地さんも研究されている「所作」とか、そういうものがすごく洗練されてる部分があったのでそこら辺が、話の共通項としてすごく合う点でもありました。
菊地:
そうですね。日本的な宮原さんの作品の中から、例えば床の間だったり、あと生花もご自身でやられてましたし、その余白の美しさとか、シュールではあるんですけど、美しさだけじゃなく、ある種、醜いとも思えるものも組み合わせて。そういうものって日本的なものだと思うんですよね。
写真の中で人間と花とかいろんなものを組み合わせてると思うんですけど、そのモチーフの決め方ってどうされてるんですか。
宮原:
私の父親は元々アートディレクターでした。
1970年代、80年代日本の広告業界を支えてきたというようなディレクターズクラブにも所属してるいわゆる”巨匠”みたいな感じの人です。
父親からいろいろと教えられてきた部分もあったのですが、父から教わったのは「美しいだけでは駄目。」ということです。
後々知ったのですが、美しさの中に何かしら毒っぽいエッセンスが両方混ざってる。だから表裏一体、オポジットといいますか反対側、そういうものが1枚の画面の中に共存している。
それが1枚の絵のインパクトに繋がってくるっていうことをすごく感じてました。
※オポジット:逆。正反対の意味
後々、ダ・ヴィンチが書いた文章の中に物を際立たせて見せるには「美しいものだけを描いても駄目だ。」という言葉があって、美しい中にその毒を持って、その美しさをさらに際立たせていくというような文章を読んだときに「ああ。なるほど。」と思って父が教えてくれたことと同じだなと感じました。
薄っぺらい言葉で言うと、美しい薔薇にはトゲがあるっていう言葉があります。そういうのと同じで、何かしらその美を追求していくときに、ただの美だけじゃなくて、その裏側にある濁ったものがあったり、毒っぽいものであったり、そういうものを1枚の絵の中に混在させる。というのが私の作品の特徴かもしれません。
菊地:
元々はその美しいものだけを捉えて作品に落とし込んでいたころもあったのですか?
宮原:
ありました。美の追求みたいなものをしてるときに美しいものだけを取り入れていた。
だけど、何か自分としては納得いかないと言いますか、味気ないなとすごく感じていました。
例えばさっき話してた、京都によく行っていた話のような鎌倉時代に建てられた寺院とかを見てると、様子が美しくて、すごく洗練された形であったり、合掌造りのお寺だったり、枯山水の庭だったり、すごくモダンでシンプルで美しいんだけれども、そこにすごく古くて経年変化を経たようなサビみたいなそういうものが混ざってます。
柱一つにしても、木一つにしても。そこに風合いが混ざってる。そういうものと美が共存してると感じます。
ここが日本人として、多分海外の人にはなかなか表現することができない、表現できるものなのだと感じています。
東京を拠点にするデザインスタジオKiQ(キク)のFounder & CEO、ディレクター。18歳で仙台から単身ニューヨークへの大学留学を経て、文化の奥深さを探究しに芸者修行。修行を通じて、和の振る舞いに感化される。デザインスタジオKiQでは、アート・文化・テクノロジーの調和をテーマに、これまでにないモノ・コトの再変換を行っており、マルチディシピリナリー(人種・世代を超えた多様な視点)な価値観をクリエイティブとともに提供している。所作コレオグラファーとしても活動し、人間やロボットなどの振る舞いを「所作」の概念でデザインする独自の専門家として国内外で活動。
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