私が27歳でデザインスタジオを立ち上げるまで 第1話

みなさんこんにちは。菊地あかねです。

今日はいつものラジオとはバージョンを変えて、私自身に焦点を当ててお話をします。

菊地の自己紹介

私、菊地あかねはデザインスタジオKiQを経営しながら、アートディレクターとして活動しています。現在は、東京の渋谷を拠点に活動しています。

デザイナーとして活動を開始したのは22歳からで、27歳で会社を立ち上げて独立しました。

アートディレクターは皆さんにとってはあまり馴染みのない言葉かもしれませんが、

クリエイティブ業界では、割とポピュラーな言葉として使われています。

日本と海外では意味合いが違う言葉になりますが、

日本では主にビジュアル部分や世界観の方向性を定めてディレクションをする立ち位置です。

映画で言うと映画監督の様な立ち位置になります。

脚本家、カメラマンなど様々なクリエイターがいる中で、成果物の世界観を決定し、指標を作り進捗状況の確認やディレクションをします。

最近では、ディレクションとして1日に常に複数のプロジェクト抱え、100個くらいあちこちに指示を出しています。

デザインスタジオを立ち上げた理由

なぜ菊地あかねがデザインスタジオを立ち上げたのかお話します。

私自身15歳くらいから独立したい気持ちがありました。
当時から自分の目で見たもの、探究したいことにすぐに飛び込んでしまう人でした。

当時、アメリカの東海岸のヒップホップにハマっていて、グラフィティなどストリートアートを含むストリートカルチャーに惹かれ、18歳でニューヨークに留学しました。

そこで出会った仲間たちには、日本に興味がある人や日本のことが好きな人が多くいました。
日本人が知らないところでアメリカの仲間が日本のカルチャーに興味を持っていたことを知り、日本の良さを再認識する機会となりました。

一方で、アメリカで知り合った仲間たちから日本の文化や侍など多くのことを質問されましたが、明確に答えられない自分がいました。

アメリカに来てからデザインの勉強をしていましたが、日本のことをあまり知らないことに気が付きました。

将来的に独立したい気持ちはありましたが、デザイナーとして生きていくためには自分の中に確固たる自信と表現の軸がまだないことにも気が付きました。

そのままアメリカに居続けて勉強をしていても身につくものではないと感じて、自分のバックグラウンドを知らなければならないと思い、帰国しました。

日本に帰国してからは日本の伝統や風習に目を向けました。

日本全国を旅しながら日本の文化背景を目で見て学びました。そして自ら足を運び、肌で感じることで自分の中に吸収していきました。

その中で印象的だったのが、金沢・京都・秋田・新潟などで芸者のお姉さんのお話を聞きに行ったことです。

初めてみた芸者のお姉さんは美しく生きていると感じました。

特に花街の芸者のお姉さんたちの踊りが色っぽく美しかった。

自分にはないものをもっている彼女たちの動きの一つ一つに意味があり、そういう人たちに出会ったことがなかったので、衝撃を受けたのを今でも覚えています。

アメリカではボディランゲージやジェスチャーではなく言葉を使ってダイレクトに思いを伝える事が多かったので、所作振る舞いで想いを伝えることは斬新で、そこに私が大事にしたい表現の軸があると感じました。

この芸者さんとの出会いが私がテーマにしている所作につながるのですが、

デザイナーの表現の軸としては、そういった発見がありました。

それからデザインスタジオを数年後に立ち上げるのですが、次回以降お伝えしますね。

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菊地あかね

東京を拠点にするデザインスタジオKiQ(キク)のFounder & CEO、ディレクター。18歳で仙台から単身ニューヨークへの大学留学を経て、文化の奥深さを探究しに芸者修行。修行を通じて、和の振る舞いに感化される。デザインスタジオKiQでは、アート・文化・テクノロジーの調和をテーマに、これまでにないモノ・コトの再変換を行っており、マルチディシピリナリー(人種・世代を超えた多様な視点)な価値観をクリエイティブとともに提供している。所作コレオグラファーとしても活動し、人間やロボットなどの振る舞いを「所作」の概念でデザインする独自の専門家として国内外で活動。