AI時代に、人はどのように機械と交わっていくべきか
「Shosa-FutureDialogue-」とは、KiQと、ATR(株式会社 国際電気通信基礎技術研究所)の共同研究プロジェクト。2019年、CEO・菊地あかねのアイデアから生まれたインスタレーションです。「Shosa」とは、心を表現する振る舞いを意味します。そのプロジェクトが、6/11に京都ATRにて体験会&イベントを開催。今回はその模様をレポートした後編です。
※前編はこちら https://kiq.ne.jp/blog/post/JRprQoS4
※中編はこちら
FutureDialogue公式webサイト
http://www.geminoid.jp/projects/shosa/
FutureDialogueコンセプトムービー
https://www.youtube.com/watch?v=IvVypHfrDso&t=13s
石黒:自動販売機など身近なメカニックから、もっと調和していくべきだと考えている。心地よいなと思える自動販売機に出会ったことがないし、もっといろんな自販機があっていい。お釣りをチョロまかすような自販機があってもいいじゃないか(笑)。
菊地:人間の機械化やデバイス化において、人間がいかに機械と違うかを理解することが最も重要だと考えてますね。例えば、生成AIのブームで、プロンプトエンジニアリングの需要が増えているが、それもAIにしか答えられないことと、人間が指示しないことをハンドリングできないといけない。そのようなニーズがこの先10年顕著になっていくのでは?
船山:機械に対して、ヒューマンエラーを機能としては実装しないものの、機能でない部分に対して人間らしさを与えることはかなり重要だし、デザインされてきてない範囲だと思います。
SONY研究者:SONYの製品だと、CSの部署が完璧を目指すように指示があるため、どうしてもヒューマンエラーが、ユーザーにとっては心地よくないこともある。人によって捉え方も違う。そこがすごくビジネスでは難しいが、面白い観点である。
船山:曖昧さによって想像力をかきたて心を感じさせるという所作の手法は、今回有効だったし、機能は確実にこなしつつコミュニケーションインタフェースとして曖昧さを持つというのは家電として共存可能だと思います。
--人間のウェルビーイングも何か変わっていきますか?
石黒:自分はウェルビーイングという言葉がとにかく嫌いだが、これからのウェルビーイングがあるとしたら、機械やデジタルからストレスを感じないことではないか。
菊地:伝えにくいことが伝えやすくなる時代だったり、コミュニケーションが苦手な人が簡単に克服できたり、不自由な人がコミュニケーションしやすくなる世界がウェルビーイングだと思う。人間関係で悩む人、コミュニケーションに悩む人は絶えないし、一番の悩みなのではないかと思う。
佐久間海土(以下、佐久間):子どもと接していると子どもは漫画の世界、つまり非言語情報が、吹き出しや背景の中で可視化されたり言語化される世界を生きている。ある種今回のインスタレーションと近い世界。子どもの方が、コミュニケーションを自由に扱っているし、大人が学ぶべき部分もあるかもしれない。
石黒:モンスターストライクとかは演出がいいんだよ。僕らの世界もVRで全部気持ちよく演出してくれたら気持ちいいだろう。VRだったら、かめはめ波とか絶対打ちたいじゃないか(笑)。
港隆史:ウェルビーイングが○○だと定義することはできないですね。人によってそれぞれのウェルビーイングが存在する。だからロボットやAIは各人に適応したウェルビーイングを考慮できる存在にならなくてはならない。
ハイコンテクストなダイアローグも無事に終了。各人ともにまだ語り尽くせない思いを、さらに懇親会でダイアローグし続ける白熱さでありました。
ところで、文中にアルス・エレクトロニカに応募のくだりがありましたが、6月中旬に結果が発表。残念ながら、「Shosa-FutureDialogue-」は受賞を逃しました。SNSでやりとりしたメンバー間の「生々しい」やりとりも、ここに特別に付記をしてこのレポートを締めます。
---アルス・エレクトロニカ受賞ならずの後日談
石黒:体験しないと実感できない作品というのが難しいのかもな
佐久間:受賞したリストの作品それぞれに対して、なんであなたがそれを作ってるの?って聞いた時に答えられない作品が多くて。もちろん個人的に好きなものもありましたが!
そういう意味では、応募サマリーを作る時に「世の中への問いって大事だよね!」みたいな流れで調整しちゃった部分もありましたが、やはりそれぞれ等身大の無垢な興味関心に立ち返って、どう発展・進化させるかが大事ですね。。逆にその感じで大賞とれたら一石投じられたのに、残念。
船山:う〜ん、そうですね。 なんか受賞した作品を見てて思ったのは、世の中への問いっていうところが抽象的で難しすぎたのかなと思いました。 人と機械の結びつきとか、身体動作の訓練とか、もっと何か1点だけに絞って極端なアピールの仕方をしたほうがよかったのかな、とか。 でも、それをするにしても作品自体がそこまで偏ったものじゃないからな〜とも思いました。
菊地:ご意見ありがとうございます。今後10年でデジタル化が進み、人間と機械の間でデジタル摩擦が起きていくなど仮説立てて想像力を膨らませればよかったかなとか、子供の教育でこれを実験させるとか、かなりの田舎でこれをやるとか、情景ストーリーが弱かったのかも。コントラスト、意外性があったらよかったのかもと思いました。